第51回「ビヨンド ザ ホライズン十八章」
①近畿日本ツーリストに対して、父(南間元)はある提案をする。
それは近畿日本ツーリストが奥日光高原ホテルに送り込んできた営業が、
ミスばかりしている事を逆手にとった提案だった。
「我が社と奥日光高原ホテルとの共同のリザーベーション組織を作ろう」というものだった。
このことは、稼働率が生命線のビジネスの中で、効率的な予約を受けようというしごくもっともな話だ。
近畿日本ツーリストにしてみれば、
「どうせ、どちらのホテル(南間ホテル・奥日光高原ホテル)も傘下に収めるのだから」
と思ったのだろう。
その事を了承した。
②父(南間元)は、リザーベーションセンターと名付けた組織を作り、南間ホテルの中に置いた。
そしてOK君を主任に抜擢して、新卒で入ったばかりの人間達を付けた。
父(南間元)のマーケティングを理屈で解る人間は、OK君ただ1人しかいなかったからだ。
そしてこの事は、
「奥日光高原ホテルの売上を把握する」ということを意味していた。
父(南間元)が原田一郎氏から学んだことは無駄ではなかったのだ。
③次に父(南間元)は、経理に取り組んだがサッパリ解らない。
決算書を前に税理士を呼んだ父(南間元)は、解らないのが当然だと思った。
この税理士の作った決算書は製造業のフォームを当てはめたものだった。
勘定科目1つとっても、現状からかけ離れていた。
いったいソフト等という概念が何処にあるのだろう?
それでも栃木県では、大きな事務所だという。
父(南間元)は、「この税理士の問題にも、いずれ手を付けなければならない。」と思った。
所詮、何処にでもいる”勲章を貰いたいだけの人”なのだから、父(南間元)とは人生観が違っていたのだ。
そして大体の数字を把握した父(南間元)は、もはやリストラが急務で有ることを自覚した。
④我が社は創業以来、何もかにも自前でやらなければならなかった。
それは、奥日光という環境の中で、当然の帰結であり、またホテルビジネスとはそういうものなのだが・・・
また、「我が社」は大工・左官・植木職人・配管工・電気技師・ボイラーマン・クリーニング職人など、多くの非営業部門を抱えていた。
お客様に良質の環境を提供するには当然必要なものだが、不可欠なものではない。
父(南間元)は多くの恨みを買い、そして鬼にならなければならなかった。
そうして浮いた人件費を、営業部門に投入して、賃金の水準を上げ、よい人材を補強しなければならない。
父(南間元)は、必要な要素だけを集約して、管理課という組織を作った。
そして父(南間元)は、就業規則を改めるために労働基準監督署に通った。
そして、この当時としてはよく出来た部類の、
いや、遅れていた業界としては画期的な就業規則と賃金体系を作った。
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